吉祥寺人 : 河田悠三さん(4ひきのねこ オーナー)










■心を解放する
河田さんは「たとえば子どもに花を選ばせるとおもしろいんですよ」と云う。
余分なこと−私たち大人が気にかけがちな金額のことや、花の名前など−を考えず、子どもは、とても素直に花を選ぶ。お店に入ってきて、「これ、すきだなー」と思った花に、たーっと寄って行く。

「そういう花を拾い上げて花束を作ってあげると、とてもユニークなものが出来上がる」

もしかすると、それは、作り手である河田さんにとっても、はっとさせられる瞬間なのかもしれない。

「それに、人って変わるんですよ。それは、選ぶ花の嗜好ひとつ見ていてもよくわかる」

それはたとえばこんな話だ。
今までピンク色があまり好きではなく、あでやかな花など一度も選んだことのなかった女性が、ある日、鮮やかなピンクの花束をリクエストしたという。

「その人、子どもが生まれたんですよ」


河田さんは、店の隅に活けられた、ピンクのスプレーバラに目をやる。

「すると、ほら、目線が低くなるでしょ」


子どもの目線に合わせて、花を選ぶ。子どもの喜ぶ姿を見て、母親も嬉しく感じる。カラフルな花って、こんなに心愉しくさせられるものだったのかと気づく。
生活と花とが結びついたとき、ぼんやりとした人生そのものも、くるんと反転し、色つきに変わるのかもしれない。


■「花には/誘いのて/がある」(中川幸夫)

「4ひきのねこ」の店内に入ると、左手の壁に、ひとつの書が掲げられている。
花にばかり目を奪われていると、その書に気がつかない人も多い。しかし原因はそれだけではない。味のある筆遣いも、すこし古びた紙の色みも、あまりにこの店に馴染みすぎていているからだ。

  花には 誘いのてが ある

中川幸夫さんによるこの書について、こう話してくれた。

「さっき、子どもが生まれた女性の話をしたでしょう。人は、自分自身をぱぁっと解放したときに、物から出るエネルギーを感じることができることもある。僕もまだ時々しか感じられないけれど」

花のたたずまいを眺め、その匂いを嗅ぎ、言葉に耳を傾ける。そして、思わずその花を手にとってしまったなら、私たちは見事なまでに花の誘惑に陥ってしまったことになるのかもしれない。まさしく、花の手中に落ちてゆくのだ。

「だからね、自分を解放できたとき、花の誘いの手がわかるんだ」

人は、花に寄る虫たちのように、理屈とは違う場面で、花に惹かれてゆく。河田さんの話を聞いていると、それはとても自然な行為に感じられる。
あらためて店内を見回すと、「4ひきのねこ」に置かれた花たちから、何本もの「誘いの手」が見えた気がした。


■心を束ねる
河田さんが作る花束は、いつも心にすんと沁みる。受け取ったとき、すとんと心に落ちるといった方が正しいかもしれない。河田さんは、花束を作るときだけでなく、作っている最中も、ずっとお客さんの心に眼を向けているという。

「僕が花束を作るときは、花の色や種類を束ねるわけじゃない。お客さんの、その時の気持ちを束ねることだと思っている」

気持ちが高揚しているときは、見ていて楽しくなるような花を束ね、ちょっと落ち込んでいるときは、心が沈静されるような花を束ねる。作っている途中でお客さんの心が変わったようなら、敏感に読み取り、それを受け止め、花を束ね直す。
そうだったのか、とポンと膝を打ちたくなる。なぜなら、出来上がった花束は、いつも自分の心を返してもらったような感じがするのだ。幾重にも重なった色味のうすい包み紙と、細いリボンが施された花束は、そのときの気持ちとすんなりマッチする。

「特別な日にじゃなくて、ちょっと花束をあげたくなるときってあるでしょう。大袈裟なものじゃなくて、ほんのお気持ちです、というささやかな花を贈りたいとき。そのシュチュエーションを大切にしたいんだよ」

確かに、さりげなくプレゼントしたいときに、ごわごわのセロファンと派手な特大リボンをかけられた花束を作られて、ちょっとがっかりしたことが何度もある。花よりも、ラッピングが派手すぎて、なんだか気おされた気分になってしまうのだ。持って歩くのも、プレゼントするのも、気恥ずかしくなってしまうような重い花束。

「とても大切にしていたリボンでも、『この花束に、このシュチュエーションだ』と思えたなら、そのとっておきのリボンをくるっと巻いてあげる。お客さんの気持ちを束ねる。それを優しく包んで、返してあげるんだよ」

お客さんの心と、花と、作り手の河田さん。
この三角関係は、とてもドラマチックな出会いなのだと改めて実感した。

 
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